福井大学医学部

ゲノム科学・微生物学

コラム

私のルーツ(2017年11月追記)

室町時代、私の故郷である福井市「安居(あご)」地区は、応仁の乱以降は戦国武将朝倉家の支配下にあり、全盛期においてはその庇護を受けた曹洞宗宏智(わんし)派の寺院が多数建立されたと伝わります。安居とはサンスクリット語の漢語訳で、定まった場所で修行する意味の仏教用語だそうです。安居地区にある私が育った町(北堀町)には現在も地名(小字)に智勝寺という名前が残っていて、付近には村の墓地も残っています。安居地区の多くの寺は朝倉氏の衰退により今日までに姿を消し、智勝寺についても百日紅(サルスベリ)の古木が残っていたという伝聞を除き資料は現存していません。宏智派は朝倉氏の滅亡とともに衰微し、一向一揆が吹き荒れると朝倉氏ゆかりの寺は灰燼に帰したそうです。

慶長年間(1596~1615年)に幕府の命で各国に作成させた「越前国絵図」(松平文庫蔵・福井県立図書館保管)には当時の村(現在は町)毎の石高が記載されており、太閤検地(1582~98年)や文禄検地(1594~95年)との関連が示唆される絵図ですが、私の故郷周囲は一帯をまとめて「安居保」と描かれており、江戸時代初期までの安居地区は中世の名残でまだ個々の村に分かれておらず、庄園制度を保っていたと考えられます(「保」とは、「荘」「郷」などと並び、中世期を通して存在した所領単位)。

私の先祖は過去帳の調査により江戸時代中期(1712年に没した女性)まで辿ることができましたが、これは現在の浄土宗の寺院の檀家となり、文字による記録が定着して以降のことであって、その前後、いつ頃から「定(さだ)」の姓を名乗ったのかはついに解りませんでした。ただ、河川と山に挟まれた地域で十分な田畑がなかったことから、いったいどうやって生活しこの地に定着していったのかを考えると、仏教の修行の地であった安居と私の先祖の生業が無関係であったとは思えません。仏教用語としての定とは、心を集中し乱れがない状態や修行を指すのだそうです(サンスクリット語: samaadhi)。また町内には同じ姓の家があり、隣町には「末定」という姓をもつ家も数軒あります。これらのことから、中世の「安居」の地で信仰に携わる者、あるいは宗教上の何某かの称号が、時を経てそのまま(恐らくあまり深く考えることなく)姓のように使われるようになったのではないか、との推論も成り立つと考えられます。

私の先祖の信仰や身分の証が現在の姓になったと考えるのが最も合理的だと思っていますが、今後もし何か別の資料が新たに見つかれば、また考えてみたいと思います。

アクティブ・ラーニングの取り組み(2016年12月)

福井大学では平成28度入学の医学生から教育カリキュラムが大きく変わろうとしている。我々が担当する講義についても、その進め方を見直し、演習を中心とした講義へと変わろうとしている。

90分間の講義時間は前半と後半にわけ、前半は講義に、後半を演習にそれぞれ充てることとした。講義はPCを用いた解説と、天井部分に設置されたライブ・イメージングカメラを用いた教科書の示説により行っている。休憩後、後半の残り約40分程度は医学教育コアカリキュラムに準じた課題を講義毎に出題し、各自が用意したノートに1問1ページずつ課題演習を行う。学生同士教え合ってもよいし、講義内容を参考に教科書を使ってまとめてもよい。教室を巡回しながら教員も質問に応じる。演習後にノート提出により出席とするが、学生は番号順の着席のために、欠席や遅刻学生は一目瞭然である。

現状の講義演習はまだ一方通行であるが、この取り組みを最初の一歩として、いずれは学生同士が質疑応答し理解を深めるような演習に昇華させることを目指している。教育の効果は相手に教えることで本人にとってもっとも深い理解が得られる。チューター役となる学生の教育をどのようにするのか、もっと勉強したいとの学生の希望にどのように答えるのか、今後の課題としたい。

(追記)能動的な学びを促す双方向授業(問題解決、文献活用、研究マインドの涵養)、少人数教育、倫理教育を強化する必要があり、この春からの新しい取り組みに活かしていきたい(2017年3月)。

(さらに追記)医学教育モデルコアカリキュラムの改訂により、アクティブ・ラーニングの重要性はさらに増加している。次年度入学の医学生を対象にシラバス改訂が予定されており、当研究室担当の講義演習等においても更なる取り組みが必要と考えられる。教室員全員でこの問題に真摯に取り組み、新しい教育の形を実現していきたい(2017年11月)

最近の読書案内(2015年11月)

週末の移動時間は静かな読書の時間に充てている。この1年間に読んだ本の中から印象深かったものを挙げてみた。

「ネアンデルタール人は私たちと交配した/スヴァンテ・ペーボ/文藝春秋」技術の進歩とそれを見越した先見の明。科学的に正しい判断力。やや記述的な箇所もあるが、異なる分野を専門とする読者の理解の助けになるだろう。物語は医学生だった頃の素朴な疑問点から出発し、ついには世紀の大発見へとつながる様子が、私生活も踏まえ生き生きと描かれている。著者の生まれたウプサラの街、映画ミレニアムの舞台ともなった美しい街の情景も思い浮かぶようである。

「伊四〇〇型潜水艦-最後の航跡/ジョン・J-ゲヘーガン/草思社」つい最近まであまり知られていなかった小さな歴史の一ページを、膨大な取材と資料の読み込みにより完成した精緻な物語。上下間の大部構成と脚注は物語というよりも論文の体を成している。書かれていたのは、無謀な戦争と生きている人間の証、たった七十年前でしかない日本とアメリカの姿である。

「霧笛荘夜話/浅田次郎/角川文庫」7つの部屋、住人たちのストーリー、時間の流れ、非日常の世界、久し振りに面白い小説を読んだ。浅田次郎の夜話はどれも面白いが、本作は全体で一つの話になっていて、映像が瞼に浮かぶよう。登場人物のスタッフをあれこれ考えるのも楽しい。

「捏造の科学者/須田桃子/文芸春秋」三宮のジュンク堂で購入し一気に読了した。サイエンスの時事問題に語ることの難しさ、それにより人文科学領域の専門家が理系の最先端の内容の本質を考えることの重要性を改めて認識させた内容である。この事件が科学コミュニティに与えた影響は大きく、また緻密で正確な本書の記述は、私にとって理系の教養とは何なのかを感じさせるものだった。

白血病の新しい治療法とSyk(2015年5月)

個人購読している「Nature」誌に久し振りにSykの論文が掲載された。白血病(リンパ腫の一つであるALL)の治療について、分子標的治療薬とは正反対のアプローチと臨床応用への考察である。

Bcr-Abl(染色体の転座により生じる強力なチロシンキナーゼ)を選択的な薬剤imatinibで阻害することにより発癌性シグナルを抑制するのは、現在主流となっている分子標的治療の考え方であり、他のチロシンキナーゼについても同様の研究と臨床応用がなされている。

今回米国UCSFの研究チームは、チロシンキナーゼSykを阻害ではなく、過剰に活性化してアポトーシスを誘導し、プレBCR(未熟なB細胞抗原受容体)下流のシグナル伝達を増強して、胎生期のnegative selection(負の選択)と同様の機序により癌細胞が除去させることにより、新たな癌細胞の抑制機序を見出した。この知見を応用し、臨床的に問題となっている薬剤耐性ALL(acute lymphoblastic leukemia)に対する新たなチャレンジができるのではないかと考えた。まさに逆転の発想である。

医学生対象の講義でも扱うが、プレBCRは自己抗原に対して強く反応することにより細胞死に陥り、この負の選択機構は免疫学的な自己の確立につながる。病的なALLの細胞では正常なBCRのサブユニットであるIgαとIgβが発現しておらず、imatinibを用いた実験によりSykなどの細胞内チロシンキナーゼはBcr-Ablの下流にあると考えられる。すなわち、ALL細胞ではBCRのシグナル経路がITAMを介することなくある程度補完されていることを意味する。

論文の図を見ていると、EBウイルスタンパク質であるLMP2Aが癌化のプロセスでSykなどのチロシンキナーゼをユビキチン化により除去することも述べられている(1998年にJ. Virol誌に掲載された論文を思い出す)。

これらの活性化分子に対し、ALL細胞に発現する分子を網羅的に解析したところ、抑制性受容体であるPECAM1、CD300A、LAIR1などのITIMの高発現が認められた。さらにこれらの下流の分子として抑制性ホスファターゼであるPTPN6やSHIP1が同定され、これらの働きが発癌性に関わることが示された。低分子化合物により抑制性分子を阻害することでSykの過剰な活性化を誘導させる、今回の論文のハイライトはまさにその点にある。

Sykと癌については、古くは乳癌の抑制因子として(Nature 2000)、またSyk阻害薬による白血病の分化誘導療法(Cancer Cell 2009)、網膜芽細胞種におけるエピジェネティックな調節異常などが報告されてきたが(Nature 2012)、本論文はそれに新たな展開を加えるものであり、大変興味深いものである。癌化シグナルの閾値についての議論もなされているので、後日さらに詳しく調べてみようと思う。

実験とワイン作り(2015年1月)

「私どもの研究室では実験手技上の秘法はなく、真摯に取り組み研究者であれば誰もが出来る実験の確立を目指して努力してきた。この目的を達成するには、それぞれの研究者が一般的なプロトコールに従って実験を進めるのみでなく、実際に実験を進める途上での行き詰まりを打開するために時間を割き、実験結果の再現性をあげるのに大変な努力を積み重ねてきた。・・・それぞれの研究者が自らのプロトコールに経験上の注釈を入れ、教室自身のプロトコールを作り上げることを提唱してた。」(豊島久眞雄 秀潤社 新細胞工学実験プロトコール 序文)

この文章には大切な事柄が触れられている。バイオ研究に欠かせない実験には、再現性が非常に重要である。同じ試薬、同じ方法で実験を行えば、世界の何処でも同じ結果が得られなければならない。しかしながら単にプロトコール通り実験したといって期待される結果がたちまち得られるものではなく、これには習熟と経験、そしてミスを防ぐ集中力と情熱が必要である。

実験に「上手、下手」というのは確かに存在するようである。バックグラウンドや様々なアッセイで得られる結果の強弱に違いが見られる。腕の違いとでもいうのか、同じ研究室の中でも個人差が見られる。さらに、研究室が違えば実験器具も異なり、細胞や試薬の調整方法、細かい実験手技も違うだろう。例えとして適切かどうかだが、同じブドウを使って同じ原理で作っているワインが、ワイナリーによって全く異なるのと似ている。ブドウからの抽出方法は、方法や時間、強度などに様々な違いがあり、抽出量を単に上げればよいというものでもなく、それぞれが不完全な抽出法であり、さらに発酵や熟成の作業方法がワイナリー毎に異なることから味や風味に異いが生じていると言える。そしてすべての工程には年余にわたる試行錯誤の末の細かい経験上の注釈が存在し、その絶妙なバランスの上に、ワインの味は結実している。

新しい実験を自分の手で確実に行えるようになるために、研究者は日々努力を積み重ねている。ものを言わない遺伝子や細胞を相手にコツコツと時間を費やし、新しい知見を得るために途方もない努力を積み重ねていく。こうした状況を理解した上で、これからを担う医学生諸君に、「何が面白くて研究なんかしているんですか?」、「毎日何が楽しいんですか?」と問われた時に、シンプルで分かりやすい答を教員側が用意しておくことが求められているようである。

ところで最近、イタリアで私と同じ姓(Sada)のオーナーが所有するワイナリーがあることを知った。その名もサダ・ワイン(Sada wine)、日本では未発売である。ワインボトルの写真を見ると、まるで自分がオーナーになったような気持ちにさせられる。引退後に自分のワイナリーを持つという夢はもう叶ってしまったかのようだ。

大学の研究室に通ってみよう(2014年4月)

全国の医学部では、医学生の身分でありながら、博士課程の大学院生のように研究室に通うことが可能であり、本学医学部も開学以来、その伝統が続いています。ご存知のように医学部では、文系の「ゼミ」や理系の他学部における「卒業研究」がないため、基礎系・臨床系を問わず、学生さんが研究室に出入りする機会がないまま卒業することになります。そこで、在学中に研究の最前線を体験してみたいと思う諸君には、そのチャンスが用意されています。教科書には載っていない最新の科学に直接触れて、世界の最先端に立って自らのアイデアで研究を行うことができます。さらに学会で発表することや英文論文の著者になることさえ可能です。医学部教授のなかには学生時代に研究室に出入りしていた経験を持っている人が少なからずいます。

研究室を見つける方法ですが、大学院博士課程のパンフレットを参考にしてみるのも一つです。難しくてわからないことばかり書いてあるかもしれませんが、直接教授に会って話してみることをお勧めします。研究室に通う方法は様々ですが、3年生になると「研究室配属」というカリキュラムがあり、そこで1ヶ月間じっくりと取り組むことも可能で、海外の研究室へ行くこともできます。折角の大学生活、クラブ活動やアルバイト以外に、じっくりと学問をしてみるのも一つの選択肢です。大学教員や研究者としての将来を考えている諸君には、多忙な上級生になる前に、研究室の中に入ってその雰囲気を味わっておくことをお勧めします。

そして、ある程度研究がまとまってきたら、この冬福井で開催される四大学リトリートに参加してみましょう。11/29~30、京都大学医学部、滋賀医科大学、神戸大学医学部と合同で、研究室に通っている大勢の学生と交流しましょう。また一流の研究者の話を聞いて、これからの人生の参考にして下さい。皆さんの参加を心待ちにしています。(四大学リトリート説明会資料より一部改変)

Syk阻害薬と関節リウマチ(2013年9月)

関節リウマチの新しい治療薬として、米国におけるチロシンキナーゼSyk阻害薬の治験が本邦の臨床家の間で強い関心を集めてきた。私はSykを発見した研究室OBの一人として、Sykとはどのような分子なのか、生理的役割と病気との関わりについてはどのようなことがわかっているのか、さらにSyk阻害薬開発の歴史と現状について、様々な機会でご紹介させて頂いてきた。

フォスタマチニブ(R788)は、臨床治験段階に進んだ最初のSyk阻害薬であり、生物学的製剤に替わる新しい低分子化合物として、ここ数年非常に注目されてきた。ところが本年4月以降、このフォスタマチニブの第III相試験の結果が、開発にあたった製薬会社のweb page上で公開され、関節リウマチの治療に一定の有効性は示したものの、治療薬としての効用は限局的であり、他の先行する薬剤に対する有用性の検討を経て、新薬としての開発が断念されたことが報じられた。さらに安全性についても、高血圧、感染、下痢など重篤な副反応が認められた。そもそもフォスタマチニブの標的分子であるSykは血液免疫系に高発現し、自然免疫や獲得免疫系の分化と生理機能に重要な役割を担っている。この新薬がもし承認されれば長期間の投与が予想され、感染症のみならず、発癌や癌転移をも含む様々な副作用が生じることが懸念されていた。

現在米国では、経口・皮膚・点眼Syk阻害薬が開発され、臨床治験が進行中である。フォスタマチニブは関節リウマチとリンパ腫の治療薬としての開発は断念されたが、すでに第II相試験を終了し有効性が確かめられている特発性血小板減少性紫斑病(ITP)に対する第III相試験を開始することが発表された。またフォスタマチニブ以外のSyk阻害薬としては、R333(JAK/Syk阻害薬R348のactive metabolite)は円板状エリテマトーデス(Discoid Lupus)の皮膚用治療薬として、R348はシェーグレン症候群などによるドライアイの眼科用治療薬として、ともに第II相試験が進行中である。

関節リウマチの病態におけるSykの重要性は疑うべくもなく、Sykはこれからも治療薬開発のターゲットとして重要な分子であると考えられる。しかしながらSykの多彩な生理作用とそれを阻害することによる副作用を考慮すると、できれば病的な状態にあるSykだけに作用するような新しいSyk阻害薬、従来とは異なる作用機序によるSyk阻害薬の開発がこれからも望まれると考えられる。(詳細は近日発表予定の和文総説に掲載します)

感染症の研修会に参加して(2012年11月)

付属病院の医療環境制御センター研修会(感染制御部門研修会)に参加し、現富山県衛生研究所所長の講演会に参加した。テーマは日本での症例が極めて限られている「狂犬病」についてである。このRNAウイルスの「病原性」は何が規定しているのか、また免疫系からエスケープするメカニズム、さらには短時間でヒトを死に至らしめるメカニズムはどのようになっているのかを考えながら拝聴し、とても興味深かった。

同じ地球上で命を授かり、「ヒト」として進化してきたわれわれが、たまたまこの時代に感染する性質を持つことにより運命が交差することになった「ウイルス」によって病気が引き起こされることとは、何と偶然で奇妙な巡り合わせかとつくづく思う。医学部ではヒトに病原性を持たないウイルスはあまり講義しないために、尚更そう思うのかも知れない。

ウイルスからヒトへの「感染性」を規定するものは何か、また「種特異性」や「臓器特異性」を決めるものは何かついてはかなり調べが進んでいて、C型肝炎ウイルスの場合は細胞表面にあるレセプター(受容体)や、また肝細胞の内部への取り込みのメカニズムが詳細に明らかになっている。レセプターといってもそれはホルモンや神経伝達因子のレセプターとは異なり、互いに「ヒト」の体の一部としてあらかじめプログラミングされたものではなく、たまたまこの時代に、別の生き物であるウイルスが利用する性質をヒトが備えているというだけのことである。換言すればそうする性質を持ったことにより、ウイルスは生きながらえた、あるいは進化してきたといえる。

では「病原性」についてはどうかというと、現在様々な研究が進行中である。ウイルスが感染することにより、「宿主(ヒト)」になぜ病的変化が生じるのかを調べるには次のような方法がある。感染した細胞と感染していない細胞、さらには癌化した細胞からメッセンジャーRNAやタンパク質をサンプリングして、量に変動があるものを片っ端から調べていこうという方法、もう一つはウイルスタンパク質に相互作用する宿主の分子を片っ端から同定し、その影響を調べていこうという方法である。ウイルスを感染させる・感染させないという点を除くと、これはもうウイルス学から離れて、生化学・分子生物学の研究法であるといえる。

これらの実験を通じてわれわれは非常に多くの知見を得ることができる。膨大なデータの持つ意義を調べるにあたっては、感染免疫学や内科学(病態論)についての理解が必要となってくる。従来のような生理的意義:生体内のメカニズムの常識のようなものはあまり参考にならない。ヒトの体内でウイルスがどのように振る舞うのかを合理性だけで考えることには自ずと限界があり、むしろ沢山の、まるで意味がない身勝手な振る舞いの中から、最も病原性に本質的なものが何であるかを見出すことが、われわれウイルス学・生化学・分子生物学の研究者の仕事であると考えている。

読書友達はいますか?(図書館フォーラム9号より)

本来の仕事以外のことで、最近読んだ本について話し合える友達がいることは、とても楽しいことである。最初に紹介するのは、「本を読まないと老化する」という意味深な帯のついた、定年と読書―知的行き方を目指す発想と方法―(鷲田小彌太著 文芸社文庫)。人文系の大学教授であった著者が、私のような理系の人間に読書の楽しさと必要性を説いているように思える。毎日の生活の中で読書を習慣として取り入れることの重要性が書かれており、定年退職後に時間が出来てからではなく、定年にはまだまだ時間がある人や(筆者は現在45歳、福井大学の定年まであと20年もある)、本学の学生さんにとっても参考になる一冊ではないかと思う。本を読むことで個人が経験し理解しうることを遙かに凌駕する、深くて実りあるたくさんの人生経験を積むことができる。特に自然豊かな松岡キャンパスは、周囲に人が少なく非常に狭い人間関係の交流だけに陥いる。この環境では、読書は不可欠であるといえる。また、読書友達との交流は、前向きで心豊かな時間を過ごすことにもつながっていく。

私が読みたい本に出会うのは、週末の新大阪駅の書店で目に留まる時が多かったが、最近は読書友達から勧められて読むことも増えてきた。これまで自分が食わず嫌いだったジャンルでも、その友人達の巧みな書評や話術(?)のせいで、読んでみようかな、と思えばしめたもので、どんどん深まっていく。私は決して活字中毒ではないが、友人の推薦というのは案外素直に信じてみるタイプのようである。沙高樓綺譚(浅田次郎 徳間文庫)は、いくつかのショートストーリーによって構成され、それぞれがあらゆる分野のエキスパートである語り部による夜話や怪談というスタイルをとっていて、本当の話なのか、まったくの作り話なのかわからないような、不思議な雰囲気を醸し出している。この著者の本は大部作もある一方で、すっ惚けた軽めの小説もあり、両方楽しむことができる。夕食の後のゆったりとした時間をこうした本を読んで過ごすことができたらと思う。歴史について、最近の出来事としては、旧ソ連の解体と冷戦の終結がある。自壊する帝国(佐藤 優 新潮文庫)は当時外交官であった筆者による現代史の物語である。この著者の本は何冊か読んだが、自分の仕事についてストーリーを立てて語っていることや、さまざまな人との交流を通じて垣間見える歴史の断面、さらにもし本の内容がすべて事実とすれば、いったい頭の中がどうなっているのかと思うほどの膨大な記憶力が印象に残る。

書店では今年のNHK大河ドラマ「平清盛」に関する本が平積みにされている。私が今読んでいるのは平家物語(宮尾登美子 文藝春秋)である。歴史としてではなく、現代と変わらぬ人間模様がえがかれ、1000年前の人物がとても身近に思える。複雑な登場人物の関係を解説書片手に読んでおり、読書と言うより調べ物に近くなってきた。なぜそうなったのかというと、私の自宅(神戸市)周辺がまさに源平の地であり、それにちなんだ名称も数多く残っていることが挙げられる。神戸港(兵庫区)は日宋貿易を経て発展した大輪田泊であり、平清盛の別荘があったという雪見御所も、かつて息子が通った保育所の隣である。その北側には平野商店街があり、かつて福原の都があった場所と伝えられている。その山あいを西に進むと合戦の地「鵯越(ひよどりごえ)」「一ノ谷」がある。休日の朝は本を片手に、ゆるやかな坂が続く平家ゆかりの地を散策してみた。本を読むことと、例えばウォーキングのような運動を結びつけること(歴史ウォーキング)を身の回りでも実践してみよう。ただし、くれぐれも歩きながらの読書は慎もう。

出張の移動時間はとにかく読書に限る。これだけまとまった時間を、何も考えずに過ごすのはもったいない。大阪までならサンダーバードでの往復で単行本1冊。太平洋を横断する飛行機では(時差ボケで早起きしてしまい、その後なかなか眠れないホテルでの早朝の時間も加えると)単行本4冊は読める。どんな服を着ていこうかと考えるのと同様に、どんな本を出張に連れて行こうかと考えることはとても楽しい。そのためのとっておきの1冊に、読書友達が推薦してくれた書も加えてみよう。(内容を一部改変しました)

入局のご案内(2012年1月11日)

近年の臨床研修制度の改訂や、大学における若手教員ポストの削減は、医学部を卒業した学生の都会志向も相まって、基礎医学者を目指す者の数が激減するに至り、今や基礎医学研究者は「絶滅危惧種」扱いという冗談とも言えない状態である。何故だろうか?卒業した若者が一律に臨床医を目指して同じ方向を向いて旅立っていく現状に、我々も医学生に対して知的好奇心に十分に答えてきたのかと自問することがある。サイエンスの面白さは一度とりつかれると決して離れられない。残念ながら、その経験をすることなくほとんどの学生は基礎医学のコースを終えていく。未来を担う基礎医学研究者の育成は、我々にとっての大きな課題である。

研究者の教育の第一歩は、出来るだけ高いレベルの研究室で、教員と問題意識を共有し、一緒に実験に取り組み、結果をディスカッションし、一つのプロジェクトを論文としてまとめ上げることにある。学位を有することがプロの研究者としてのスタートラインであると言われる所以である。すべての大学が旧帝大のような研究を進めるのではなく、我々の大学には我々の道があり、卒業生にとっても本学の研究レベルは決して低くないことを知って欲しい。もちろん、より高い志をもって他大学の大学院に進み、烽火をあげることも是なりと思う。

今や基礎医学の領域は、微生物なら微生物だけを研究すればよいという時代ではない。どんな領域であっても、分子生物学・免疫学・病理学・解剖学・微生物学の最先端の業績を読み、新しい技術を取り入れ、それを吸収して自分の研究に取り入れていくことが不可欠である。DNAのコンストラクションも作れないのは、臨床医学の現場でサーフロー針を入れることができないのと同じである。私はこれまで多くの研究施設を経験してきたが、本学では既に世界トップジャーナルに研究成果を報告した研究室が複数あり、若手研究者にとっても十分刺激的であることを強調したい。都会の研究室に比べ十分な広さのある実験室があり、さらに他大学にはない支援センターのサポートシステムがある。

深夜、実験に集中していると、研究室の壁を見ていてふと思うことがある。研究には国境がない。同じ材料と試薬を使えば世界の何処でも同じ結果が得られ、研究成果は世界と共有されたものである。壁の向こうには世界の研究者が大勢いる。明日のライバルが、地球上のどこかで我々の論文を真剣に読んでおり、同じ研究目的を持つ者同士、時空を超えて共有するものがある。後学諸君も、世界を相手に、自分のアイデアをデータとして具現化し、ロジックを鍛え、全世界に向けて福井から情報発信してほしい。

これらの研究の出発点となったのは、現在の「研究室配属」と同様に、私が医学生時分に基礎医学講座に通ったことである。当時研究を始めた分子は後の「Syk」であり、私の名前も発見の第一報に著者として掲載されている。教育を担当する立場にも立つ今、若手研究者の育成にも十分力を注いでいきたいと考えている。当研究室では、大学院生はもちろん、医学生諸君の研究参加も歓迎する。

ゲノム科学・微生物学研究室

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